― 異本・表記・校訂の課題を中心に ―
多紀理
はじめに
本稿は、鎌倉初期の風雅を今に伝える歌集『山家集(さんかしゅう)』における翻刻作業の難渋さについて、多角的に掘りさげ、学術的にして温雅なまなざしのもとにその輪郭を浮かび上がらせることを目ざします。写本の伝来は錯綜し、本文は異本・版本のあいだで微細に揺れ動き、さらに仮名遣いや字形の揺らぎが随所に残されております。翻刻とは単なる文字の置換ではなく、むしろ原典の気配と響きを今に甦らせる、きわめて繊細な創造的行為と申せましょう。
とりわけ『山家集』は、語り手たる西行の内的風景が、自然の四季と溶けあうやうに詠まれており、その語法は、あたかも春の霞のごとく淡く、また秋の月影のやうに冴え渡っております。そのような詩魂を、現代語に忠実かつ雅やかに写しとる翻刻作業は、文献学的精緻さと文学的感受とを同時に要する営みと申せます。
本稿ではまず、『山家集』そのものの構成と性格を簡明に述べ、そのうえで翻刻作業において避けがたく生起する三つの課題――すなはち(1)異本間の本文差異、(2)表記の揺れと仮名遣い、(3)校訂方針の明示と注記体系――をそれぞれに掘りさげてまいります。そして末尾には、翻刻作業の一例を仮想的に取り上げ、実際の編集現場における苦心を描出しながら、未来にひらかれた翻刻の在り方をさぐってまいりたいと存じます。
『山家集』とは
一 集の成立と性格
『山家集』は、平安末から鎌倉初期にかけて活躍した西行(さいぎょう、俗名・佐藤義清)による和歌撰集でございます。全体としては、およそ一千首ほどの和歌を収め、自然・仏道・恋情・世を厭う心など、多彩な主題を繊細なことばで詠み上げております。五巻本・三巻本・略本など種々の系統が存在し、それぞれに詞書や配列が異なっております。
西行は、俗世を離れた法師の身ながら、貴族的教養と歌壇の伝統を身につけた歌人であり、その風雅は単なる隠者文学の域を超え、日本詩歌の表現様式に深い革新をもたらしました。『山家集』は、そうした西行の詩想の集成であると同時に、中世和歌の転換点を映す貴重な鏡とも申せましょう。
二 伝本と翻刻のあゆみ
『山家集』の伝本は極めて複雑であり、五巻本(通称・西行自筆本とされる写本系統)と、詞書を省いた略本(三巻本・一巻本)とが並存してまいりました。底本とすべき本は必ずしも一つに定まりません。そのため、近代以降の翻刻においては、どの系統を基盤とするかが、編集方針に重大な影響を及ぼしております。
翻刻作業として特筆すべきは、楠本弘氏による『山家集古注評釈』(岩波書店、2008年)であり、この翻刻は五巻本を基底としながらも、異本による語句差を詳細に注記し、詞書や配列の再検討も行っております。楠本本は学術的信頼性に富みつつ、詩的余韻を損なわぬよう慎重に表現されており、現在もっとも広く参照される翻刻の一つといえるでしょう。
また近年では、篠綾子氏による論稿「山家集翻刻における異本処理の課題」(『国文学解釈と鑑賞』)において、斎部本や源氏瀬本といった断簡的伝本の分析を通じて、既存翻刻の方法論に対し、より多元的な視座からの校訂が必要であることが提言されております。
三 翻刻版の特色と課題
先述のとおり、翻刻版は本文の整序・語句の選択・仮名遣いの統一などにおいて独自の判断を要するため、常に資料的厳密性と表現的美しさとの間で、微妙な折り合いを求められます。とくに、校訂対照表の不備や異文の省略といった問題は、後続研究の再検証を困難にいたします。翻刻とは、かつての語りを甦らせると同時に、未来の読み手へと橋を架ける試みでありましょう。その意味で、校訂の透明性と注記体系の明晰さは、単なる補助ではなく、翻刻の核心にあるべき要素と申せます。
翻刻作業の課題① ― 異本・版本の取り扱い
翻刻の第一の難所は、申すまでもなく異本・版本の取り扱いにございます。とりわけ『山家集(さんかしゅう)』は、成立年代の古さに加え、数世紀にわたって多様な写本系統が並び立つという特異な状況にあり、本文校訂の方針を定めること自体が極めて困難なのでございます。
現存する伝本には、大別して五巻本、三巻本、一巻本がございます。五巻本は西行自身の構想に最も忠実とされ、歌数の充実と詞書の豊富さを備えた本系でございますが、流布が限られており、現代においても完本として遺るものは稀にございます。一方、三巻本・一巻本は略本系統に属し、詞書や仏道関係の和歌を省略した簡略な構成となっております。かかる本文群は、伝播と写本過程において整理・削減されたものと見なされており、内容の濃淡と信頼性のあいだで校訂者を悩ませてまいりました。
翻刻をなす際には、まず底本とすべき一本を選定し、その上で他本との異同を丹念に照らし合わせる必要がございます。この際、どのような本文差異を採り、どのような異文を注記に回すかは、校訂者の文学的洞察と文献的慎重さとを秤にかける判断を要します。たとえば、詞書において「山の庵にて」と記す五巻本に対し、三巻本ではこれを欠き、単に「春の暮に詠める」とのみあることがございます。果たしてこの省略は、後代の編集的意図による削除か、それとも原本には存在しなかったのか。こうした細部の判断は、単なる資料比較を超えて、作品世界の読解と詩想の再構築に深く関わるものでございます。
また、詞句の微細な違いも翻刻においては看過できぬ重要な問題となります。たとえば、ある一首において「山桜の散りまがひたる」を「山桜や散りまがひたる」と記す本と、「山ざくらのちりまがひける」と記す本とでは、助詞や活用の違いが、響きの余情を大きく左右いたします。西行の詩語は、もとより仮名の旋律に支えられており、一音の差が詩境の輪郭を変えてしまうことさえございます。こうした音韻的・修辞的な観点からも、翻刻にあたっては言葉の骨格と調べとを共に見きわめねばなりません。
さらには、詞書と本歌との対応関係も、写本によっては異なり、同一の和歌が異なる場面に置かれていることもままございます。このような構成上の異同は、作者の意図を探るうえで看過できぬ問題であり、翻刻者は「再構成されたかもしれない編纂意識」と「本来の構想」とのあわいに身を置くこととなります。翻刻とは、原本をそのまま写す作業ではなく、原本に潜む構成思想を読み取りつつ、後世の読者に向けて作品の呼吸を伝える営みなのでございます。
たとえば、楠本弘氏の『山家集古注評釈』(岩波書店、2008年)では、五巻本を底本としながらも、三巻本や源氏瀬別本といった異本を注記にて丁寧に示し、読者に対し本文の多様性を示すよう心がけておられます。しかしながら、すべての異本を併記することは実務上難しく、選別の基準は常に明示されているとは限りません。その点、篠綾子氏は前掲論文において、異本間の本文異同が作者意図の再構成と読み誤られる危険性に警鐘を鳴らし、「異文一覧の可視化こそが、翻刻の公正さを担保する手段である」と指摘しておられます。
このように、『山家集』の翻刻においては、単に本文を定めることだけではなく、その「定めかた」を読者に開示するという姿勢こそが、学問としての翻刻に求められております。校訂とは、閉ざされた知識ではなく、共有される方法論でなければなりません。そのため、翻刻は原文の再現と同時に、研究者・読者との誠実な対話の場をつくる試みでもあるのでございます。
翻刻作業の課題② ― 仮名遣い・字形・表記揺れの扱い
翻刻作業において見過ごすことのできぬもう一つの課題は、仮名遣いや字形、さらには表記の揺れをいかに処理すべきか、という点にございます。とりわけ『山家集(さんかしゅう)』のように、詩情豊かに仮名の響きをたたえる文学作品においては、音と形とが渾然一体となって詠まれておりますれば、表記の細部にこそ詩のこころが宿っていると申せましょう。
まず、歴史的仮名遣いの問題がございます。たとえば「おもふ」「いましめ」「かなし」といった語が、写本によっては「おもふ」「おもふる」「おもへ」などと揺れを見せ、同一語に対して複数の綴りが混在しております。これを現代人に親しみやすくするために一律に「思ふ」「今しめ」「哀し」と置き換えることは、便宜的ではありましても、西行の表現に込められた細やかな音韻感覚や余情をそぎ落としてしまうおそれがございます。
また、「を」と「お」、「へ」と「え」などの字母の混用についても、単なる表記の違いにとどまらず、語感や調べに微妙な差異を与える要素となっております。西行の和歌はしばしば音の連なりによって、もののあはれや静謐なる風景を描出しており、「おもふ」を「をもふ」と綴ることで、詩句に柔らかな陰影をもたらしている例も散見されます。このような細部の字面の選択は、歌の調子を支える不可欠の要素と考えるべきでございましょう。
字形の問題も同様に重うございます。翻刻に際しては、変体仮名や崩し字の正確な読み解きが必要とされる一方で、それをいかにして現代文字に置き換えるかという作業が伴います。しかも一部の変体仮名は、意味や音を同じくしながらも書き手の筆癖や伝本の系統によって大きく異なって見えるため、どの形を標準とするかの判断に迷いが生じがちです。
たとえば、仮名「は」は、筆写者により「者」「波」「者(くずし字)」といった変体で記されることがあり、これを単純に「は」に置き換えることで文字の個性が均されてしまう場合もございます。近年では、文字コードの発展にともなって変体仮名を再現する電子的手段も整いつつありますが、読み手の理解度を考慮したうえで、どこまで原貌に近づけるかという選択が、翻刻者に委ねられているのが現状でございます。
さらに、詩語としての表記揺れの扱いも重要な課題でございます。『山家集』には、「あはれ」「あわれ」、「ゆふぐれ」「ゆふぐらし」など、語彙の変化形が混在して見られます。これは単なる誤写や表記の雑さによるものではなく、西行の時代における言語の揺らぎ、あるいは表現の余白として捉えるべきものでございましょう。翻刻者が恣意的に「統一」してしまえば、かえって西行の言葉のゆらぎ、そしてそれに託された感性の繊細さが損なわれることにもなりかねません。
楠本弘氏の翻刻では、こうした仮名の揺れや表記の差異を注記にて丁寧に追記し、読者に選択の余地を与える工夫が施されております。底本に基づきつつも、異表記の存在を正確に伝えることで、和歌の響きと構造を損なうことなく再現しようとする姿勢は、非常に示唆に富んでおります。
一方で、篠綾子氏は、翻刻者の文体的感性が、無自覚のうちに本文を「美化」する危険性を指摘しておられます。すなはち、表記を整えすぎることにより、かえって当時の言語状況や文脈が捨象されてしまうことを危惧しておられるのでございます。翻刻は、作者の語法を蘇らせる作業であると同時に、書き手と読み手との時代的距離を埋める試みでもありましょう。そのためには、文字の選択ひとつにも、歴史的背景と詩的意図とを織り込んだ判断が求められるのです。
したがって、翻刻作業において仮名遣いや字形の問題に直面したとき、私たちは「より正しい形」ではなく、「より詩にふさわしい形」「より響きに近い形」とは何かを問うべきでございます。それは、言葉の形をただ復元するのではなく、言葉が放つ香気や余情をいかにして現代の紙面に咲かせるかという、文学的な問いかけにほかならないのです。
翻刻作業の課題③ ― 校訂の透明性と注記の充実
翻刻作業における第三の課題として挙げられますのは、校訂方針の透明性、ならびに注記の充実でございます。古典文学の翻刻において、本文を「整える」ことそのものが、すでに解釈を伴う営みであるという事実を、私たちは深く心に留めておかねばなりません。つまり、どの語を採り、どの句を斥け、どこに異文を挿しこむかといった判断は、いずれも翻刻者の意識的・無意識的な読みの色に染まるものであり、それゆえ、翻刻者がどのような方針をもって校訂に臨んだのかを明示することは、読者との間に信頼の橋を架けるために欠かせぬ手立てと申せましょう。
『山家集(さんかしゅう)』のように、伝本が多岐にわたり、詞書や和歌の位置づけにすら揺らぎが見られる作品においては、翻刻者の作為が本文に与える影響は決して軽んじられるものではございません。たとえば、ある歌が第五巻の末尾に収められていたとき、ある本系ではそれが巻頭に置かれていた、というような場合、その順序の選定は単なる事務的整理ではなく、作品の読み方そのものを左右するものでございます。
このような状況下において、翻刻における校訂方針は、本文の末尾や別冊に「凡例」や「編集方針」として簡略に記されるだけでは、読み手にはなお不十分であることが多うございます。たとえば「底本には五巻本を用い、他本との差異を注記に付す」と記されておりましても、どのような基準で差異を本文に採るか否かを判断したのか、異文の選別基準は何であったか、という点までが明らかにされていなければ、読者は翻刻本文を一種の「出来合いの成果物」として受け取るよりほかなくなってしまいます。
それに対して、注記を充実させることは、本文の構造とその周辺にあるゆらぎや曖昧さを読者と共有するための、いわば「読みの地図」を示す試みにほかなりません。注記のなかには、底本に見られる語の書き違い、異本の挿入語句、欠落箇所の補足、句読法の差異などが含まれます。こうした注記が丁寧に施されていることで、読み手は原文と翻刻とのあわいを見通し、校訂の「揺れ幅」そのものを味わうことができるようになるのでございます。
楠本弘氏による『山家集古注評釈』においては、主要な異文が各歌の脚注に明示されており、また詞書や歌の配列に関する異同についても簡潔な説明が添えられております。しかしながら、そこでも異文のすべてが網羅されているわけではなく、翻刻者の判断によって取捨された異本情報も少なくないと考えられます。つまり、校訂の手の内すべてが開かれているわけではなく、あくまで選ばれた情報のみが注記されているという事実を、読者としても認識しておかねばなりません。
このような状況に対して、篠綾子氏は、翻刻における注記の役割を単なる補足ではなく、翻刻の「方法論的告白」として捉えるべきだと述べておられます。すなわち、校訂とは隠された作業ではなく、読者とともに進める開かれた知的営為であり、注記はそのための対話のかたちにほかならない――というのでございます。このような立場に立つならば、翻刻本文とは、いわば「完成品」ではなく、「試論的な提示」として読むべきものとも申せましょう。
また、注記は読者の読みの足場であると同時に、次世代の研究者への橋渡しともなります。原文資料に直接触れることが困難な研究者にとって、翻刻本文と注記の充実は、研究対象への最初の入り口であり、そこでの情報の濃淡が、のちの研究の厚みを左右することすらあるのです。とりわけ『山家集』のように、仏教的思想や隠遁生活の情趣、季節の移ろいへのまなざしなど、時代的文脈を背負った表現が多く含まれる作品においては、語釈や訓読上の注意点を含む注記の在り方は、詩歌の呼吸そのものを支える繊細な骨組みとなります。
翻刻に携わる者は、ただ古き文字を現代語に置き換えるだけではなく、その背後に潜む詠み手の心の動きと、読み手との時代的距離とを、静かに、けれど確かに測る作業を担っているのでございます。その意味において、校訂の透明性と注記の丁寧さは、翻刻作業の倫理的中核にほかならず、それを怠れば、本文だけがひとり歩きし、作品のもつ詩魂や思想が失われてしまう危うさを孕んでいるのです。
翻刻実践の一例と展望
ここまで、翻刻作業における三つの主要課題――異本の取捨、仮名遣いと表記のゆらぎ、そして校訂の透明性――について述べてまいりましたが、ここではこれらを総合するかたちで、仮想的な翻刻作業の一例を通して、その実際を浮かび上がらせてみたいと存じます。
たとえば、『山家集(さんかしゅう)』第五巻に収められた次の一首――
春くれば 山の庵にて 花を見つつ
心は風の ゆくへ知られず
この歌は、五巻本の底本には詞書として「春の山に籠りて詠める」と記されておりますが、三巻本においては詞書が欠落しており、さらに一巻本では「山の花を見て詠める歌」となっております。翻刻に際しては、この詞書の異同が作品の情調を大きく左右するゆえ、いずれを採るかの判断には慎重を要します。
編集会議においては、まず全員が該当する写本の影印を精査し、筆写の状態・墨色の濃淡・詞書の追加写と思われる痕跡について意見を交わしました。筆跡の分析において、三巻本の詞書欠落は物理的剥落によるものではなく、元より詞書の存在しない略本である可能性が高いと結論されました。一方、一巻本に見られる「山の花を見て詠める歌」という詞書は、後代の筆写者による補入と推定されることから、原歌に付された意図を適切に表すのは、やはり五巻本の詞書「春の山に籠りて詠める」であるとの合意に至りました。
つづいて、本文の仮名遣いについて検討が行われました。この歌の第五句「ゆくへ知られず」は、三巻本では「ゆくえしられす」と記され、一巻本では「行方しられず」と漢字仮名交じりで記されております。ここで「知られす」とする仮名遣いは、当時の発音をより忠実に映すものと考えられる一方、「しられず」は現代の読者にとって親しみやすく、詩の読解にも大きな支障は生じぬとの意見がございました。しかし、音韻上のやわらかみと余情を保つためには、歴史的仮名遣いを維持すべしとの意見が主となり、最終的には「しられず」を採り、脚注に「三巻本に『しられす』」との注記を添えるという方針となりました。
このような判断の積み重ねが、翻刻の本文をかたちづくってまいりますが、決して一様な答えがあるわけではなく、文献的考証と詩的感受とが織りなす複合的な営みなのでございます。翻刻とは、まことに読みと手業との対話であり、また、過去の語り手と現代の読み手とのあいだにひとつの橋を架ける行為にほかなりません。
さらに近年では、こうした翻刻作業をデジタル環境のなかで行う試みも広がりつつございます。たとえば、国文学研究資料館が公開する「新日本古典籍総合データベース」では、複数の写本を高精細画像で閲覧でき、本文の比較・訓読・注記作成をオンライン上で協働的に行う仕組みが整いつつあります。こうしたデジタル翻刻の潮流は、従来の紙媒体による校訂とは異なり、異本間の異同を「可視化」しながら、翻刻本文が複数の可能性を孕む「開かれた仮説」として提示されることを可能にしております。
将来的には、AIによる崩し字の自動認識や、読者が自ら異本を選んで本文を構成できるインタラクティブな翻刻環境も期待されておりますが、それでもなお、人の手によってなされる「読み」の繊細さ、語感の選択、詩境の判断は、やはり人文学的判断に委ねられる部分が多うございます。すなわち、技術が補助する領域が広がったとしても、翻刻の核心は、読み手が言葉の呼吸にどこまで寄り添えるかという、美学的・倫理的姿勢にかかっているのではないでしょうか。
おわりに
翻刻とは、時を超えて遺された文字を、静かに、そして深く読み解くことによって、その奥に潜む声を呼び覚ます行為にほかなりません。紙に記された墨のかすれ、仮名の揺らぎ、詞書の省略――それらは単なる物理的な痕跡ではなく、かつての書き手の息遣いと、読み手のまなざしのあわいにひそむ、豊かな意味の層でございます。
『山家集(さんかしゅう)』という一冊は、まさにそのような層を幾重にも抱えた和歌集であり、隠者である西行が、自然と仏へのまなざしを通して詠んだことばが、時代を越えて今日にまで読み継がれております。その詩歌は、時に山風のように淡く、あるいは月影のように冴えわたり、心の奥深くにひそやかに染み入るものでございます。
そのような作品を現代に蘇らせる翻刻の営みには、単なる技術以上の「読みの覚悟」と「謙虚さ」とが求められます。写本の間に潜む異同は、選び取りの技術だけでなく、文脈の読解と詩の気配に対する感応力を必要といたします。また、仮名遣いや表記の選定においては、語の響きや余情に耳を澄ませる細やかな感性が求められ、さらには校訂の方針や注記の在り方には、読者との誠実な対話が宿っておらねばなりません。
このように、翻刻とは、古典の姿をただ復元するだけでなく、現代においてそれをどう読み、どう伝えてゆくかという、文学的・倫理的な営みでもございます。言葉とは、書かれた瞬間に完結するものではなく、読み継がれ、語り継がれることで命をもちます。その生命を今に繋ぐために、翻刻者は、あるときは学者として厳密に資料と向き合い、またあるときは詩人のごとく、ことばの陰翳に耳を傾けるのでございます。
さらに申せば、翻刻とは、文化を支える根幹のひとつに位置づけられる作業でもあります。古典文学が今なお現代において意味を持ち得るのは、まさにこのような地道な文献作業があってこそであり、読者は翻刻された本文を通して、失われゆく日本語の美しさ、そして歴史の深みと対話を重ねることができるのでございます。
将来的には、デジタル環境における翻刻が一層進展し、多くの異本を瞬時に照合することが可能となりましょう。けれども、その技術を支える根本には、人のまなざし――すなわち、ことばを読み、感じ、伝えようとする意志と感性が、変わらずに息づいておらねばなりません。機械が字を識別し、画面に整った本文を映し出したとしても、その本文の奥にある詩のこころ、書き手の声を掬いとるのは、やはり人の眼と心にほかならないのでございます。
『山家集』の一首に、
こころざし あらばあらなんと 思ひしを
世のあだしさに 袖ぞぬれにし
と詠まれております。これは、西行が世俗のうつろいに傷つきながらも、なお志をたしかに持ちつづけようとする、揺るぎない詩魂を示した一首でございましょう。私たち翻刻に携わる者もまた、この「こころざし」を胸に、変わりゆく時代の中で、ことばの尊さを忘れず、静かにその姿をすくい上げてゆきたいと存じます。
翻刻とは、見えない水脈をたどるような営みでございます。けれども、その水脈はたしかに、過去から現在へ、そして未来へとつながっております。山の庵に咲く花を、ひとり静かに眺めて詠んだ西行の歌の声が、八百年の時を超えて、今、私たちの手元に届く――その奇跡に、謙虚なまなざしと感謝とをもって向き合い続けたいと願ってやみません。
参考文献
・楠本弘『山家集古注評釈』岩波書店、2008年
※五巻本を底本とし、主要な異文と語釈を注釈した代表的校訂注釈書。
・佐竹昭広ほか編『新編国歌大観』第五巻、角川書店、1990年
※各種和歌集の標準的本文を収める大型歌集全集。『山家集』の諸本対照に用いる。
・伊藤博『古今和歌集全注釈』角川書店、1999年
※和歌表現の伝統と詞書の構成理解に資する基本文献。
・篠綾子「翻刻注記の方法論と倫理性 ― 仮名遣いをめぐる一考察」『和歌文学研究』第114号、日本和歌文学会、2016年
※注記の意味を「方法論的告白」とする立場から論じた実証的研究。
・ 国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」
https://kotenseki.nijl.ac.jp/
※デジタル翻刻・写本画像閲覧・異本照合の実践において不可欠なオンラインリソース。
.・ 久保田淳『和歌文学の深層』岩波書店、2004年
※和歌の重層性と詩的構造の理解に通底する洞察を与える名著。
・ 萩谷朴『和歌の表現とその世界』東京大学出版会、1985年
※仮名遣い、表記、語感の細部にまで踏み込んだ表現論的視座に富む。
• 岩佐美代子『西行』ミネルヴァ書房〈ミネルヴァ日本評伝選〉、2002年
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