2026-02-01から1ヶ月間の記事一覧
古典読解の方法論的基礎の確立――小西甚一『古文の解読』『国文法のちかみち』の現代的意義と必読性 第一部 古典研究の成立条件としての方法論 古典研究という営みは、しばしば過去の文学作品への感性的接近として理解されがちでございます。しかしながら、学…
古典読解の方法論的基礎の確立――小西甚一『古文の解読』『国文法のちかみち』の現代的意義と必読性 第一部 古典研究の成立条件としての方法論 古典研究という営みは、しばしば過去の文学作品への感性的接近として理解されがちでございます。しかしながら、学…
「到達なき秩序と救済の希求――『城』『方丈記』『歎異抄』における存在不安と超越の問題」 フランツ・カフカの長編小説『城』を拝読いたしますとき、まず深く胸に迫ってまいりますのは、人が自己を超える巨大な秩序の前に立たされたときに経験する根源的孤独…
百人一首 56 後拾遺和歌集 巻第十三 恋三 763 心地例ならず侍ける此人のもとにつかはしける 和泉式部 あらざらむこの世の 外の思ひ出に 今ひとたびの 逢うこともがな 口語訳『最新全訳古語辞典』東京書籍より 私がこの世にあるのも残りわずかでしょうから、…
円周率が、3.05より大きいことを証明せよ。(2003年 東京大学) 多紀理の解き方 発想 円のまわりの長さ(=円周率)は円の中に入る多角形より必ず長い だから→ 円の中に「そこそこ丸い形」を入れて→ その周の長さが3.05より大きければOK というだけです。 「円…
三島由紀夫文学における存在・美・エロスの形而上学的構造――仮面の告白と金閣寺の比較的考察――(三島由紀夫作品研究・感想文) 本稿において拝読いたしましたのは、三島由紀夫の代表作たる仮面の告白および金閣寺でございます。両作品に向き合いましたとき、…
岡本かの子「鮨」を読む――生命の奔流・官能の認識・都市的実存とりわけ湊という人物を中心とした感想的研究―― 一、はじめに――読むという経験そのものの衝撃 岡本かの子の短編「鮨」(鮨)を拝読いたしましたとき、まず感じ入りましたのは、食を描いた作品で…
静けさの奥にひそむ官能――川端康成『みずうみ』と『山の音』を読むという体験一 川端文学を読むときの不思議な感覚 川端康成の作品を読みますと、わたくしはしばしば、言葉にしがたい静かな震えのようなものに包まれる思いがいたします。物語として大きな事…
百人一首 33 古今和歌集 巻第ニ 春下 84 さくらの花のちるをよめり 紀友則 久方の光 のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ 口語訳『最新全訳古語辞典』東京書籍より 日の光がのどかな春の日に、どうして落ち着いた心もなく、花は散るのであろうか。 意…
百人一首 28 古今和歌集 巻第六 冬歌 315 冬の歌とてよめる 源宗于朝臣 山里は冬ぞ さびしさまさりける 人目も草も かれぬと思へば 口語訳『最新全訳古語辞典』東京書籍より 山里はいつも寂しいが、冬こそ寂しさのいちだんとまさる季節だったのだ。 人の訪れ…
新古今和歌集 巻第十六 雑歌上 1454 返し 二条関白内大臣 枝ごとのすゑまで にほふ花なれば 散るもみ雪と 見ゆるなるらん 新編日本古典文学全集「新古今和歌集」の訳 返し 二条関白内大臣 枝ごとの末まで美しく咲いている花だから、散るのも、雪のように、ま…
新古今和歌集 巻第十六 雑歌上 1453 高陽院にて花の散るを見てよみ侍りける 肥後 万代をふるに かひある宿なれや み雪と見えて 花ぞ散りける 歌詠 多岐都 新編日本古典文学全集「新古今和歌集」の訳 高陽院で花の散るのを見て詠みました歌 肥後 万代を過ごす…
古今和歌集 巻第一 春歌上 42 初瀬にまうづるごとに、宿りける人の家にひさしく宿らで、 程へてのちにいたれりければ、かの家のあるじ、 「かくさだかになむやどりはある」と、言ひだして侍りければ、 そこにたてりける梅の花を折りてよめる つらゆき ひとは…
古今和歌集 巻第二 春歌下 118 寛平御時后宮歌合の歌 つらゆき 吹く風と谷の水とし なかりせばみ 山がくれの 花を見ましや 日本古典文学全集の訳 寛平御時后宮歌合の歌 紀貫之 花を吹き散らす春風と、その花を里まで運ぶ谷川の水とがもしなかったならば、人…
古今和歌集 巻第八 離別歌 404 志賀の山越えにて いし井のもとにて ものいひける人の別れける折によめる つらゆき 結ぶ手のしづくに にごる山の井の あかでも人に 別れぬるかな 新編日本古典文学全集「古今和歌集」(訳者 小沢正夫 松田成穂 小学館)の訳 志賀…