新古今和歌集 巻第十三 恋歌三 1196
西行法師、人々に百首歌よませ侍りけるに
あぢきなくつらき
嵐の声も憂し
など夕暮に
待ちならひけん

新編日本古典文学全集「新古今和歌集」(訳者・峯村文人・小学館)の訳
西行法師が人々に百首の歌を詠ませました時に
興(きょう)がなく、薄情に聞こえる嵐の音もいやだ。
どうして、夕暮に人を待つならわしになったのであろうか。
意訳
題詞
二見浦百首(1186年)において
西行法師が人々に和歌をお詠ませになりました。
作者:藤原定家
解釈①
―― 昨年(1185年)、安徳天皇がご入水なされ、ご崩御あそばされたことは、――
いかんともしがたく、ただただ、お亡くなりになった幼き帝をお偲び申し上げ、
堪えがたき悲しみに胸ふさがり、涙をこぼすばかりでございました。
折しも、荒れ狂う風は憂き声を立て、野山を吹きすさぶかのように感じられます。
夕まぐれのひとときには、なおも、帝がふたたびお戻りになるのでは……と、つい待ち望んでしまうのです。
夕暮れというのは、なぜ、これほどまでに人を「待つ」心へと誘う時刻なのでしょう。
涙にかすむ視界、胸の内は乱れ、惑うばかりでございます。
解釈②
恋しき人が訪ねてくださるやもしれぬと、夕暮れどき、たよりなく待ち焦がれております。
自らの力ではどうすることもかなわず、つらく、むなしい想いに心は沈み、涙をこぼしております。
荒き風が容赦なく吹き荒れ、木々を揺るがす音にさえ、あの方のお心がすでに遠のいているような気がして、いっそう切なくなります。
なぜ夕暮れというものは、こうまで人を「待つ」習わしへと誘う時刻となったのでしょうか。
解説
本歌は、一見すると恋の歌として読むこともできます(②の解釈)。
しかしながら、詠まれたのが1186年であることに鑑みますと、
前年(1185年)の安徳天皇ご崩御という出来事に重ねて詠まれたとも解されます(①の解釈)。
安徳天皇は、源平合戦の最中、わずか八つにして、波間にその御命を散らされた御方にてございます。
略歴
藤原定家(ふじわらの ていか)
1162年 - 1241年8月20日(享年80歳)
父は藤原俊成、母は美福門院加賀。
新古今和歌集の編者のひとりであり、
後世に多大なる影響を与えた歌人にございます。
西行法師(さいぎょう ほうし)
1118年 - 1190年2月16日(享年73歳)
1140年に出家し、法名を西行と称す。
1149年には高野山へと入山し、
歌と隠遁の生活を貫きました。
安徳天皇(あんとくてんのう)
1178年11月12日 - 1185年3月24日(享年8歳)
在位:1180年2月21日 - 1185年3月24日
歴代天皇のなかでも最も短命であらせられ、
高倉天皇の第一皇子にて、後鳥羽天皇は異母兄君にあたられます。
脚注
【出典】『拾遺愚草(しゅういぐさ)』
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