武勇と詩情の狭間に―橘則光と清少納言の物語

橘則光の詩情豊かな和歌―清少納言との縁をめぐって

　平安文学を代表する随筆『枕草子』で知られる清少納言（せいしょうなごん）は、二度ご結婚されています。最初のご夫君は橘則光（たちばなののりみつ）、後のご夫君は藤原棟世（ふじわらのむねよ）と申します。

　清少納言が橘則光と離婚された理由は、性格の不一致と言われております。文才に恵まれた清少納言に対し、橘則光は武勇に優れた人物でございました。盗賊に襲われた際には反撃するなど、その胆力は優れていた一方で、友人に対して「和歌を詠みかけたら絶交する」と宣言するなど、風雅を愛することには、少々疎かったようです。しかし、そのような橘則光も、実は勅撰和歌集に和歌が採録されている勅撰歌人でもありました。平安時代後期の『金葉和歌集（源俊頼撰）』には、一首が収められております。それがどのような和歌であったのか、ご紹介いたします。

逢坂の関にて

陸奥へまかりけるときあふさかの関よりみやこへつかはしける
われひとり　いそくとおもひし　あつまちに　かきねのうめは　さきたちにけり
（陸奥へ罷りける時、逢坂の関より都へ遣わしける）
（我一人　急ぐと思いし　東路に　垣根の梅は　先立ちにけり）
※『金葉和歌集』第六巻より

　橘則光は陸奥守（むつのかみ。陸奥国の国司長官）に任じられ、現地へと赴かれました。京の都を出発し、山城国（京都府南部）と近江国（滋賀県）の国境にある逢坂関（おうさかのせき。滋賀県大津市）までお越しになられた際に、この和歌を詠まれたと言われています。

則光を待っていた？梅の花（イメージ）

意訳

　私だけが東路（あづまぢ。東国≒陸奥国への旅路）を急いでいると思っていたのに、垣根に咲いている梅の花は私より先に来ていたのだな。梅の花が先に逢坂関へ来て、後から来た則光を出迎えてくれた……そんな詩情豊かな情景が詠み込まれているように感じられます。遠く陸奥国への道のりも、梅の花と共にあれば、寂しさも和らいだことでしょう。

和歌を詠むのは苦手だった則光（イメージ）

　橘則光は康保2年（965年）に橘敏政（としまさ）と右近尼（うこんに／あま）の間に誕生しました。右近尼は花山天皇の乳母を務めており、則光は花山天皇の乳兄弟にあたります。花山天皇が即位された際には大いに期待されましたが、寛和2年（986年）に花山天皇が突然出家・譲位されると、不遇の時期が続きました。その後、長徳元年(995年)に六位蔵人(ろくいのくろうど)に任じられ、一条天皇に近侍し仕えました。また、修理亮(しゅりのすけ)・左衛門尉(さゑもんのじょう)、検非違使尉(けびいしのじょう)などを兼任されました。長徳4年(998年)に従五位下となり、長保3年(1001年)に従五位上へ昇進されました。その後も遠江介(とおとうみのすけ。遠江国の国司次官)、土佐守、陸奥守といった国司を歴任されました。一方で、藤原斉信(ただのぶ)の家司を務められたとも言われています。則光の没年については詳しくは分かりませんが、万寿5年（1028年）に前陸奥守(さきの～。元職)として言及されていることから、その時期まで生存されていたと考えられます。

則光の子女たち（イメージ）

　橘則光には、清少納言以外にもご夫人とお子様がいらっしゃいました。最初のご夫人は清少納言で、お二人の間には橘則長（のりなが）というご子息が誕生されました。後のご夫人は橘行平女(ゆきひらの娘)であり、光朝法師のお母様でもありました。そのほか、橘季通(すえみち)や光朝(こうちょう。僧侶)、橘好任(よしとう)や藤原範基室といったお子様もいらっしゃいました。なお、清少納言との子孫は、橘則長を経て代々続いていることが『尊卑分脈』に記録されています。