博士課程における研究の日々
――史料に向き合うこころと修学継続の見通し
第一部 研究の道に入りて覚えしこと
大学院文学研究科博士課程に進学いたしましてより、学問に向き合う心持ちは以前とは大きく変わりました。修士課程にありし頃は、先人の築きし学説を学び、その筋道をたどることに力を尽くしておりましたが、博士課程に入りてよりは、自ら問いを立て、その問いの正しさを疑い続け、なおかつ新しき見解として世に示すことを求められるようになりました。その責めの重さに、はじめの頃はただ心細さを覚えるばかりにて、研究室の机に向かいながら、ひそかにため息をつく日も少なくございませんでした。
研究とは、知識を積み重ねる営みというより、むしろ己の無知を知る営みであるのだと、近ごろようやく思い至るようになりました。読み進めるほどに知らぬことは増え、理解したと思いし事柄もやがて疑わしく見えてまいります。かつて確かな拠り所と信じていた解釈が揺らぎ、別様の可能性が立ち現れるとき、学問の奥行きの深さにただ打たれるばかりでございます。
文学研究におきましては、とりわけ一次史料の精査が研究の要となります。史料とは単なる資料にあらず、過ぎ去りし時代の息遣いをとどめた言葉のかたちであり、そのひとつひとつが長き年月を経て今ここに在るものでございます。かかる史料に向き合うとき、ただ読むというより、むしろ静かに耳を澄ます心地がいたします。
研究室の窓辺にて古写本をひろげ、紙面に残るかすかな墨の跡を追うとき、そこには書き手の息づかいがほのかに感じられるように思われます。かすれた一筆、迷いし筆致、書き損じの跡――そのいずれもが遠き過去の一瞬を今に伝えるものであり、文字を読むというより、時の流れに触れているかのごとき感慨を覚えることがございます。
しかしながら、そのような静かな感慨の背後には、実に骨の折れる作業が控えております。文字の判読は容易ならず、わずかな形の違いが意味を大きく左右することもございます。一語の確定に半日を費やすこともあり、進みの遅さに焦りを覚えることも少なくございません。
ある日のこと、どうしても読めぬ一字に心を奪われ、夕刻まで机を離れられずにおりました。研究室の外はすでに薄暗く、窓の向こうに灯りがともる頃、ふと文字の形が別の語として浮かび上がり、長く閉ざされていた意味が不意に開けました。その瞬間、胸の奥に小さき喜びが満ち、思わず独り微笑みをもらしたことを覚えております。研究の喜びとは、このようなひそやかな瞬間に宿るものかと存じます。
第二部 研究室の日常と指導教員のこと
研究室での日々は静かに流れております。朝のまだ人の少なき時間に研究室へ参りますと、書架のあいだに漂う紙の香りと、ほのかな静寂が迎えてくれます。その静けさは思索を深めるにはまことに適したものであり、席に着くや否や自然と心が落ち着くのを覚えます。
机の上には常に幾冊もの文献が積み重なり、読みかけの論文には無数の付箋が差し挟まれております。それらを一つ一つ読み解き、要点を書き留め、疑問を整理する作業は単調に見えるかもしれませんが、その反復のなかで思考は徐々に形を整えてゆきます。
指導教員との面談は、研究の節目ごとに設けられております。初めの頃は、自らの考えの未熟さを指摘されることを恐れ、報告のたびに緊張しておりました。しかし指導教員のご指摘は常に的確であり、私の思考の曖昧な箇所を静かに照らし出してくださいました。
あるとき、私が長く温めていた仮説について説明いたしましたところ、指導教員はしばらく沈黙されたのち、「その解釈は魅力的であるが、史料の声をよく聴いているか」と穏やかに問いかけられました。その一言は深く心に残り、以後、史料に向き合う姿勢を改めて省みる契機となりました。
研究とは自己の考えを主張する営みであると同時に、史料の語るところに謙虚に耳を傾ける営みでもあるのだと、そのとき初めて理解したように思います。
研究室の仲間との語らいもまた貴重なものでございます。互いの研究の進捗を語り合い、疑問を分かち合う時間は、孤独になりがちな研究生活に温かな光をもたらします。議論のなかで思いがけぬ視点を得ることも多く、学問が決して独りの営みではないことを実感いたします。
第三部 史料調査の旅にて
一次史料の調査のため、遠方の資料館を訪れることもございます。早朝の列車に乗り、まだ見知らぬ土地へ向かう道中は、期待と緊張が入り混じった特別な時間でございます。車窓を流れる景色を眺めながら、その日出会うであろう史料のことを思い、心を整えてまいります。
資料館の閲覧室は静まり返り、紙をめくる音のみがかすかに響いております。白手袋をはめ、慎重に史料を開くときには、まるで儀式に臨むかのごとき緊張を覚えます。長き歳月を経た紙の質感、ほのかに残る墨の匂いに触れるとき、歴史の重みが掌に伝わるように感じられます。
しかし調査の現場では予期せぬ困難に遭うことも少なくございません。閲覧時間の制限、史料状態の問題、期待していた記述の不在など、計画どおりに進まぬこともしばしばございます。遠路を訪れながら十分な成果を得られぬ日には、帰途の車中にて深い疲労とともに静かな落胆を覚えることもございました。
それでもなお、史料の断片から新たな知見の可能性を見出したときの喜びは格別でございます。小さき発見がやがて大きな理解へとつながることを信じ、地道な調査を重ねるほかございません。
旅先の宿にて、その日の記録を整理しながら、研究の道の長さを思うこともございます。博士号取得までの道程はなお遠く、残された在学期間のうちに学位を得ることは容易ならざる見通しでございます。しかし研究の成熟を急ぐあまり、その質を損なうことは避けねばならぬと存じます。
第四部 学位取得の困難と在学延長の思案
博士課程に進みてより、学位取得という目標の重みを日々あらためて感じております。博士号とは単なる資格にあらず、独創的研究をもって学界に寄与し得ることの証しであり、その達成には厳密なる検証と十分なる成熟が求められます。
現時点における研究の進度を静かに顧みますに、残された二年間の在学期間のうちに学位論文を完成させることは、率直に申しまして容易ならざる見通しでございます。史料の読解はなお途上にあり、論証の精度を高めるためにはさらなる検討を要する段階にございます。拙速に結論を求めることは、研究の本旨にかなわぬのみならず、学問に対する誠実さを損なうことにもなりかねません。
このような事情を踏まえ、所定単位取得後の在学期間延長の可能性についても考慮せざるを得ない状況にございます。本研究科においては、単位取得後、最大六年間まで在学を継続し得る制度が設けられております。この制度は、長期的熟成を要する文学研究にとりまして、研究の質を守るための大切な支えであると感じております。
延長を選ぶべきか否か、未だ決断には至っておりません。研究の進展状況、論文の成熟度、そして自らの研究者としての在り方を総合的に見極めつつ、慎重に判断してまいりたいと存じます。ただ確かに申せますのは、研究の質を何よりも重んじたいという一点にございます。
博士課程における時間とは、単なる年数の経過ではなく、思索の深まりそのものであると考えております。研究における「遅さ」は決して停滞ではなく、むしろ理解の深化の証しであることもございます。かかる認識のもと、焦燥に心を乱されることなく、静かに歩みを進める覚悟を新たにしております。
第五部 研究を続けるこころの揺らぎ
研究生活の道は常に平穏とは限らず、ときに心の揺らぎを伴います。思索が行き詰まり、研究の進展が見えぬ時期には、自らの資質への疑念が胸をよぎることもございます。周囲の研究者の着実な歩みを目にし、自らの遅れを思い知らされるように感じることもございました。
そのような折には、研究室の窓辺に立ち、しばし外の空を眺めることがございます。移ろう雲のかたちを追いながら、学問とは本来、即時の成果を求める営みではなく、長き時間のうちに静かに形づくられるものであることを思い起こします。やがて心のざわめきは次第に鎮まり、再び机に向かう力を得るのでございます。
また、史料と向き合う時間そのものが、研究を続ける支えともなっております。古き言葉のひとつひとつに触れ、その背後にある思考の気配を感じ取ろうと努めるとき、研究が単なる業務ではなく、精神の深い営みであることを実感いたします。
研究の歩みは孤独を伴うこともございますが、その孤独は決して空虚なものではなく、思索を育む静かな空間でございます。自らの内面と向き合う時間を重ねるなかで、研究者としての姿勢も少しずつ形を整えてゆくように感じております。
第六部 単位取得満期終了への志
博士号取得の可否とは別に、所定単位を修得し単位取得満期終了に至ることは、研究者として重要な節目であると認識しております。これまで積み重ねてまいりました研究活動を一定の形として結実させることは、今後の研究の基盤を確かなものとするうえで大きな意義を有するものでございます。
単位取得満期終了は終着点ではなく、新たな研究の出発点であるとも申せましょう。研究を継続する力を養い、学問に向き合う姿勢を確立する過程として、この段階を大切に受けとめております。
研究計画の見直し、時間管理の改善、調査方法の再検討など、日々の営みを整える努力も続けております。史料調査、文献読解、論文執筆、研究発表準備など多様な活動を調和的に進めるためには、研究生活そのものの構えを整える必要があると痛感しております。
指導教員のご助言を受けつつ、研究の方向性を折に触れて見直し、より確かな成果へと導くよう努めております。研究とは常に未完成の営みであり、その未完成性を受け入れることが成長への契機となるのだと感じております。
第七部 研究の喜びと学問への祈り
研究生活の困難のなかにも、かけがえのない喜びがございます。長く理解できなかった史料の一節の意味がふと明らかになる瞬間、断片的であった知見が一つの構図として結びつく瞬間、その静かな歓びは言葉に尽くしがたいものでございます。
学問とは、直ちに役立つ成果を求める営みではなく、人の精神を深く耕す営みであると考えております。時間をかけて思索を重ね、言葉の意味を問い続ける過程そのものに、学問の本質が宿るのではないでしょうか。
史料に向き合う日々の営みは、過去と現在を結ぶ小さな橋を架ける作業にも似ております。遠き時代に生きた人々の言葉に耳を傾け、その思索を現代に伝えることは、文学研究に携わる者の務めであると感じております。
このような認識のもと、研究を続けることそのものが一つの祈りのごとき営みであると感じることもございます。真理に近づこうとする志を失わぬかぎり、研究の歩みは決して無意味ではないと信じております。
終章 修学継続の決意
以上、博士課程における現在の研究状況ならびに今後の見通しにつき、現時点での所感を述べさせていただきました。研究の道はなお途上にあり、学位取得への道程も決して平坦ではございません。しかしながら、史料と真摯に向き合い続けることにより、学問の深化に微力ながら寄与できるよう努めてまいりたいと存じます。
単位取得満期終了を当面の目標としつつ、研究の成熟を第一に据え、必要に応じて在学期間延長も視野に入れながら、慎み深く研究を継続してまいる所存でございます。
学問の道は遠く、歩みは遅々たるものでございますが、その一歩一歩を大切に重ねることこそが研究者としての務めであると心得ております。今後とも心を静め、史料の声に耳を澄ましつつ、研究の歩みを進めてまいりたいと存じます。
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