本歌取りの心、いかにぞ
本歌取りは、ただ技を競ふ引用にあらず。心の深みに及び、世の理や人の情を継ぎゆくものなり。古今集、拾遺集、新古今集など、和歌の流れにそひて、本歌取りの妙はいとめでたく、歌人の志を映す鏡のごとし。されば、かかる歌々の例を二つ以上挙げ、その本歌をいかに変奏し、新たなる意を織りなしたるかを、細やかに尋ね、かつ、その時代の風や人の志の異なりを、和歌の歴史の目より論ずべし。
課題内容:本歌取りは単なる技巧的引用にとどまらず、思想的・精神的継承の表現でもある。古今和歌集、拾遺和歌集、新古今和歌集に見られる代表的な本歌取りの例を二首以上挙げ、それぞれがどのように本歌を変奏・再解釈しているかを具体的に分析せよ。また、それぞれの時代背景や価値観の違いがどのように表れているかについて、和歌史的観点から論ぜよ。
本歌取りの技法と思想的意義についての研究
宗像多紀理
はじめに
本歌取りは和歌における重要な技法であり、過去の名歌を引用し、新たな視点や意味を加えて表現するものである。その技法は単なる形式的引用にとどまらず、歌人たちの精神的・思想的営為を反映しており、和歌史における思想的継承の一環として位置づけられる。本稿では、『古今和歌集』『拾遺和歌集』『新古今和歌集』に見られる本歌取りの事例を挙げ、それぞれの技法がどのように変奏され、再解釈されているかを分析する。また、各時代における文化的・思想的背景がどのように表れているのかを、和歌史的視点から考察する。
一、本歌取りの基本概念と歴史的変遷
本歌取りとは、既存の和歌を引用し、その形式や内容を再構築する技法である。この技法は、平安時代の和歌において初めて確立され、歌人たちは過去の名歌を基にして新たな感情や思想を表現することを試みた。『古今和歌集』における本歌取りはその萌芽を見せ、時を経て『新古今和歌集』においては一つの完成形に達した。古今集の時代においては、過去の歌を再解釈し、引き継ぐことが主な目的であったが、次第にその意図は新たな感情や価値観を表現する手段へと変容していった。
『古今和歌集』における本歌取りの例として、紀貫之の次の歌を取り上げる。
「春ごとに 花のさかりはありなめど あひ見むことは 命なりけり」(『古今和歌集』春上 19)
この歌は、万葉集の次の歌を本歌として引用しているとされる。
「春されば まづ咲くやどの梅の花 ひとり見つつや春日暮らさむ」(『万葉集』巻五・八一五)
貫之は、万葉集の歌に見られる春の訪れと花の美しさを踏まえつつ、そこに人と人との出会いの儚さを重ね合わせた。特に「命なりけり」という表現には、出会いの儚さを強調する意図が込められており、万葉集における自然賛美の視点から、より人間的な感情への転換が見て取れる。
次に、『拾遺和歌集』における本歌取りの事例を見てみよう。源順の歌を挙げる。
「久方の 月の桂も秋はなほ もみぢすればや照りまさるらむ」(『拾遺和歌集』秋上 285)
この歌は、古今和歌集の次の歌を本歌として踏まえている。
「久方の 光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」(紀友則、『古今和歌集』春上 34)
源順は、「久方の」という枕詞を共有しながらも、春の穏やかな日々から秋の冷徹な景色への変化を描いている。「月の桂」や「もみぢ」という象徴的な自然の美を通して、秋の寂しさや無常観を表現しており、これによって古今和歌集の春の歌から秋の歌への視点の転換がなされている。
『新古今和歌集』における本歌取りは、さらに高度な技法として展開される。藤原定家の次の歌を取り上げる。
「見わたせば 花ももみぢもなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」(『新古今和歌集』秋下 362)
この歌は、古今和歌集や拾遺和歌集の歌を本歌としているが、特に「花ももみぢもなかりけり」という表現に注目すべきである。定家は、過去の和歌における春の華やかさや秋の寂しさを踏まえつつ、それらを切り離し、「なかりけり」という断絶を強調することで無常感を一層深めている。この歌には、新古今和歌集の特色である、無常観や寂寥感が色濃く表れており、過去の歌との対話を通じて、さらに深い思想的な意味が込められている。
五、時代背景と価値観の変容
古今和歌集の時代には、自然との調和が重要視され、和歌は貴族文化の中で発展を遂げた。歌人たちは、自然の美を賛美し、その美に人間の感情を重ね合わせることを好んだ。
拾遺和歌集では、より技巧的な要素が強調され、漢詩文の影響も色濃く見られるようになる。この時期には、感情表現に加え、自然や人間の営みを象徴的に表現することが求められた。
新古今和歌集の時代には、末法思想や仏教的な無常観が広がり、和歌にもその影響が顕著に表れる。歌人たちは、自然の景色を通して無常や寂しさ、時の流れの儚さを表現することを試みた。
本歌取りの技法は、これらの時代背景を反映しながらも、歌人たちの思想的な進展を示す重要な手段であった。
おわりに
本稿では、『古今和歌集』『拾遺和歌集』『新古今和歌集』における本歌取りの具体例を取り上げ、それぞれの技法がどのように変奏され、再解釈されているかを明らかにした。また、各時代の思想的背景がどのように和歌に反映されているかを考察した。今後の研究においては、さらに多様な視点から本歌取りを解釈し、和歌が持つ思想的深層を掘り下げることが求められるだろう。
注釈
〔注1〕 本歌取りは『和歌六義』などに記される技法概念で、平安時代初期からその萌芽を見せている。
参考文献
- 佐伯梅友『本歌取り論』笠間書院、1972年。
- 久保田淳『新古今和歌集全評釈』講談社学術文庫、1997年。
- 田中大士『和歌表現と本歌取り』和泉書院、2004年。
- 『新編日本古典文学全集 古今和歌集』小学館、1994年。
- 『新編日本古典文学全集 拾遺和歌集』小学館、1996年。
- 『新編日本古典文学全集 新古今和歌集』小学館、1997年。
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