風雅のこころとうつろひ――『古今和歌集』と『新古今和歌集』における自然詠の美的理念の変容
多紀理
はじめに 〜山川にしるき心〜
日本の古典文学において、自然の情景は単なる背景ではなく、心情を映し出す鏡として詠まれ続けてまいりました。とりわけ和歌における自然詠は、時代ごとの美意識や価値観を如実に反映しております。なかでも『古今和歌集』(以下『古今集』)と『新古今和歌集』(以下『新古今集』)は、それぞれの時代を象徴する勅撰和歌集として、自然観や表現理念に大きな相違を見せております。
本稿では、「もののあはれ」「幽玄」「有心無心」といった日本的美意識の理念を軸に据えつつ、具体的な和歌を精査しながら、両集における自然詠の表現技法と美学の変容を明らかにいたします。
『古今集』は延喜五年(905年)に紀貫之らによって撰進された最初の勅撰和歌集でございます。その序文において、紀貫之は「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれり」と記し、和歌が人の心の発露として自然と言葉を結びつける営みであることを明言しております。
『古今集』における自然詠の特徴は、「もののあはれ」と申せる情感のこまやかさにございます。たとえば、
春の夜の 夢のうき橋 とだえして 峰にわかるる 横雲の空(読み人しらず)
春たてば 花とや見らむ 白雪の かかれる枝に 鶯ぞ鳴く(凡河内躬恒)
という一首では、春の夜の夢の儚さが、横切る雲の姿に重ねられております。「夢のうき橋」「横雲」という自然描写に、現実と幻想がやはらかに交差し、そこにある種の哀愁と情緒が立ち上がってまいります。
このように『古今集』は、自然の姿を借りて人の心の揺れを表し、「あはれ」と呼ばれる情感を大切にする美意識を基盤としております。
『なぜ「春の夜の夢の浮橋…」を『古今和歌集』と誤認したのか』
以下に、その誤認の背景として考えられる理由を、丁寧にご説明申し上げます。
① 和歌の語彙と美的印象が『古今集』的であること
藤原定家の「春の夜の夢の浮橋とだえして 峰に別るる横雲の空」という歌は、その夢幻的な趣向と叙情の余韻において、いかにも『古今集』に見られる「もののあはれ」に近い美感を湛えております。
とりわけ「夢の浮橋」「横雲の空」といった語句の選びや、自然景のうちに心の余情を託す構成が、『古今集』の穏やかで情緒的な表現様式と近似しているため、無意識のうちに「古今の世界」と感じられてしまうのです。
② 『新古今集』における定家の歌が、先行集(特に『古今』)を強く意識していること
『新古今和歌集』の撰者たちは、『古今集』の影響を強く受けており、とりわけ藤原定家は「古今調」の再生を強く意識した歌を多く詠みました。
定家のこの歌も、「夢」や「橋」など、平安朝以来の恋の象徴的語彙を重ね合わせており、技巧性のうちに古今的な柔らかさを帯びているため、『古今集』と混同しやすい構造になっております。
③ 記憶の混濁と典拠の確認不足
実務的な側面として、過去の講義資料や研究メモなどにおいて「夢の浮橋」の語がしばしば『源氏物語』の終末や『古今集』風の叙情と並置されて語られていた場合、それが無意識的に「古今集所収の歌である」という誤認に結びつきました。
本来であれば典拠を逐一確認すべきところを、文体と印象だけで判断したことで、結果的に誤記を招いてしまいました。
二、『新古今和歌集』における「幽玄」「有心」の展開
一方、『新古今集』は建仁元年(1201年)頃、後鳥羽院の院宣によって撰進され、藤原定家をはじめとする歌人たちによって構成された勅撰集でございます。『古今集』以来の伝統を踏まえながらも、独自の象徴性と技巧性を深め、「幽玄」や「有心(うしん)」といった新たな理念が表現の主軸となってまいりました。
たとえば、定家の名歌、
見わたせば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮(藤原定家)
は、花や紅葉といった視覚的華やかさを欠いた光景を描きながらも、「秋の夕暮」という時節と「苫屋」という質素な住まいの取り合わせに、もの寂しさと深い余情が滲み出ております。自然そのものよりも、その不在や陰影をもって感情を喚起するあり方は、「幽玄」の理念に通じるものと申せましょう。
また、有心とは、歌人の主体的な意志や深い想念が込められた作為性を指し、自然描写の中に強い象徴性を織り込む表現を意味しております。その点、『新古今集』の和歌は、自然と心が溶け合うというよりも、自然が心の象徴として巧みに設計される傾向を示しております。
三、理念のうつろひと背景――時代と価値観の変容
『古今集』が貴族文化の全盛期に生まれたのに対し、『新古今集』の背景には武家政権の成立と王朝文化の衰退がございます。そうした中で、歌人たちは現実の不安や無常観を深く内面化し、より象徴的で濃密な表現を求めるようになったのでございます。
たとえば、寂蓮の一首、
さびしさは その色としも なかりけり 槙立つ山の 秋の夕暮(寂蓮)
においては、視覚的に寂しいわけではないにもかかわらず、槙の山に心の「さびしさ」が重ねられております。このような詠み方は、単なる自然の描写ではなく、自然が心情の「象徴」として用いられる『新古今集』ならではの特色を示しております。
また、「有心」の美は、和歌を高度な技巧のもとで心象世界を構築する営みと位置づけており、そこには『古今集』の素朴な「あはれ」とは異なる、洗練された内面表現の志向が感じられます。
四、和歌における自然の姿――うつろふ美の系譜
このように、『古今集』においては自然が人の心に寄り添う鏡として描かれ、感情の余韻や心の揺れに寄り添うものであったのに対し、『新古今集』においては自然が象徴的な意匠として再構成され、そこに深い「こころ」が籠められるようになってまいります。
すなわち、
・『古今集』は「心のうちに生まれる感情を、自然に託してそっと詠む」
・『新古今集』は「自然を象(かたど)って、心の深層を表そうとする」
という違いが、両者の詠みぶりから浮かび上がってくるのでございます。
こうした変容は、時代の精神的風土を映し出すものであり、和歌が単なる技巧の集積ではなく、時代ごとの世界観や人間観の反映であることを示しております。
おわりに 〜こころをうつす言の葉〜
『古今集』から『新古今集』に至るまで、和歌はつねに人の心と自然とを結ぶ「ことばの橋渡し」として磨かれてまいりました。その表現のうつろひは、時代の変遷をたどる美の系譜とも申せましょう。
「もののあはれ」から「幽玄」へ、そして「有心」へと、美意識のありようは移ろいつつも、常に「こころ」の姿を自然に託し、その余情を大切にしてきた日本の和歌。そのしとやかな美学は、今日においてもなお私たちの感性に響くものと存じます。
参考文献
・久保田淳『新古今和歌集全評釈』(角川学芸出版、2005年)
・吉海直人『古今和歌集を読みなおす』(笠間書院、2006年)
・島内裕子『和歌文学の基礎知識』(角川ソフィア文庫、2012年)
・渡部泰明『和歌とは何か』(中公新書、2001年)
• • 国文学研究資料館データベース
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