和歌という言葉の織り:秘められた真意をたどる試み
和歌を読み解く際、私は、いわゆる直訳に重きを置くことはほとんどございません。
この点こそ、私が最も大切にしている視点でございます。
と申しますのも、和歌というものは、しばしば「暗号」に近い性格を持っているからにほかなりません。
表面上の語義をなぞったところで、作者が本当に伝えたかったことには到底辿りつけないことが、極めて多いのです。
ところが、現在の和歌研究において、この「暗号性」に着目している国文学者は、残念ながらごくわずかであるように見受けられます。
そのため、たとえ国語の教科書で和歌が紹介されていても、その背景にある深い意図が伝えられておらず、参考書においても表層的な解釈にとどまる傾向がございます。
NHKの教育番組などでも、解説は多くの場合、直訳的な解釈に終始しております。
このような現状は、私の敬愛する『シャーロック・ホームズ』に登場するレストレード警部が、時に深い検証を省いたまま結論を急いでしまう場面と、どこか重なって見えることがございます(辛口な表現となりましたこと、ご容赦くださいませ)。
これから国文学を志される皆さまには、すべての和歌をシャーロック・ホームズ氏のような探究心をもって、丁寧に、順を追って読み直していただきたい――
それが私のささやかな願いのひとつでございます。
たとえば、
古今和歌集 巻第十二 恋歌二 553
題しらず
うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき
小野小町の一首を改めてご覧いただきますと、直訳の段階でも意味は通じるものの、そこに秘められた「暗号」を解き明かすことで、新たに四通りの解釈が浮かび上がってまいります。
しかも、それらの解釈はいずれも恣意的な想像ではなく、歴史的事実と整合する内容であり、歌人が意図的に言葉の仕掛けを施していることがうかがえます。
このような和歌の精緻な技巧に、そろそろ私たちも気づくべき時を迎えているのではないでしょうか。
ところで、「なぜ和歌を暗号として詠む必要があったのか」との問いが浮かんでこられるかもしれません。
その点について、少し考えてみたいと思います。
和歌の源流にあたる『万葉集』を紐解くと、その初期に詠まれた歌々には、政治的事象への批判や、為政者の振る舞いに対する異議申し立て、あるいは虚偽の報道に対する真相の提示といった意図が、巧みに織り込まれていることがございます。
これらは、中国の漢詩に見られる象徴的・暗示的表現と共通する要素であり、和歌もまた同様に、明言することが許されぬ真実を詠う手段として用いられていたと考えられます。
当時、権力者に逆らうような言動は、命にかかわる危険を伴いました。
ゆえに、歌に込められた真意は、あくまでも分かる者のみに分かるよう、密やかに隠されていたのです。
やがて『古今和歌集』『新古今和歌集』の時代に入りますと、和歌の主題は政治的なものにとどまらず、歴代天皇への敬意、逝きし人への追慕、あるいは恋慕の情など、より文化的・感性的な側面が色濃くなってまいります。
とはいえ、和歌がもともと「語ってはならぬこと」を「隠して語る」ための術であったことを想えば、後世においても、言葉遊びを通して真意を重層的に伝えるという「暗号的要素」は、なお和歌の本質の一部として生き続けているのではないでしょうか。
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