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活用体系における思惟の型――古典文法が映す日本人の心のかたち

活用体系における思惟の型――古典文法が映す日本人の心のかたち

                                 宗像多紀理

 

序章


 日本語の文法体系、とりわけ古典文法における動詞・形容詞の活用体系は、単なる言語操作の技術ではなく、その背後にある思惟の型――すなわち世界や人間、他者との関係性に対する無意識的な態度を映し出す鏡である。言語は、単に意味を伝える手段ではなく、思考の型をかたちづくるものであることは、エドワード・サピアベンジャミン・ウォーフの言語相対性仮説によっても指摘されてきた。古文法の活用体系においてもまた、語尾変化の機能性だけに注目するのではなく、その変化を可能にする思惟の枠組み自体を問い直すことが、現代における国語教育や言語観の更新にも資する視座となろう。

 

 本稿では、日本語古典文法における活用体系を「思惟の型」という観点から捉え直し、特に用言の活用に見られる時制・態・敬語の変化に潜む精神的傾向を析出しようとする。あわせて、和歌や物語文学における言語使用の実例を通じて、その文法的選択がいかなる価値観や世界観を前提としているかを明らかにする。

 

第一章 活用という思惟の枠組み


 古典文法における「活用」は、言語単位の変化によって文中の機能を変えるものであるが、その基底には「関係の構築」と「場面への応答」という意識がある。たとえば、四段活用動詞「書く」は、「書か」「書き」「書く」「書く」「書け」「書け」と変化するが、これらはそれぞれが時間的、命令的、仮定的など、話し手の意志や状況認識を表す手段となっている。ここには、発話主体が相手や状況に対して柔軟に応じていく態度、つまり「変化を受け容れる柔らかい論理」が内在している。

 

 この変化の型において特筆すべきは、「未然」「連用」「終止」「連体」「已然」「命令」という六つの活用形が、それぞれ時間的・論理的関係を織り込むかたちで成立している点である。たとえば、未然形は未来の可能性や否定、使役、受動といった予測・制御の領域を開く。一方、已然形は既に起こったことへの評価や、確定的な条件づけを担っている。すなわち、話し手の思惟は、単なる現在の陳述にとどまらず、過去や未来、可能性や確実性といった多層的な時間意識とともに構成されているのである。

 

第二章 敬語と活用――他者との距離の構築


 古典日本語における敬語体系は、尊敬語・謙譲語・丁寧語に大別されるが、これらはすべて動詞活用のかたちで実現される点において、活用が他者との距離や関係性を調整する装置であることを示している。「たまふ」「まゐらす」「さぶらふ」などの補助動詞を伴う敬語構文は、発話者と聞き手、あるいは語りの対象者との力関係や親疎関係を明示化する。

 

 とりわけ注目されるのは、敬語の使用が単に礼儀や儀礼にとどまらず、語り手自身の世界認識を反映している点である。『枕草子』や『源氏物語』においては、主語や行為者に応じて敬語が精緻に使い分けられており、その選択は語りの視点や人物への感情の強弱をも内包する。たとえば、『枕草子』において清少納言中宮定子に対して言及する場面では、「かの御前にて、いみじうかしこまりたる気色にて、さぶらふ人々の、ことにおはします」とあり、「さぶらふ」という丁寧語の使用によって、話者自身の身分と場の格式を明示する。同様に『源氏物語』「若紫」巻では、「御消息なども、かへさせたまはでなむ」と語られ、「たまは(給は)」という尊敬語の補助動詞を通じて、光源氏の高貴さが叙述上に浮かび上がる。これらの敬語表現は、単なる人物描写にとどまらず、語り手の価値判断や感情の濃淡を含意するものであり、敬語活用が語りの文体そのものに深く関与していることがわかる。敬語の活用は、すなわち語り手の「心のかたち」を写し出す鏡なのである。

 

第三章 係り結びと認識の構造


 係助詞と結びの関係における「係り結び」は、古典日本語独特の文法構造であり、たとえば「こそ〜已然形」「ぞ・なむ〜連体形」「や・か〜連体形」といった構文において成立する。これらの構文は、話し手の注意を引き、文の焦点を明示する働きを担っている。

 

 この構造において注目すべきは、助詞の位置に応じて文末が規定されるという、文全体の統御構造の存在である。つまり、語り手は文の冒頭あるいは中盤に係助詞を置いた時点で、すでに文末の活用形を定めており、そこに至るまでの文脈を意識的・無意識的に制御している。このような言語運用には、「文全体を見渡す思惟の枠組み」が要請されており、日本語の語りが持つ統合的・全体志向的な特徴を示している。

 

第四章 和歌における活用の美学


 和歌における動詞・形容詞の活用は、意味伝達のための手段というよりも、美的効果や感情の濃淡を繊細に表現する装置として機能している。たとえば、「見れば」「思へど」「ありし」「鳴くなりけり」といった語尾の選択は、時制と感情、距離感と響きの調和を精妙に表現する。

 

 ここでは、動詞の活用形が持つ時間性と感情の陰影が融合しており、特に「けり」「けむ」「らむ」「まし」「なり」などの助動詞との結合によって、語り手の内面の揺れや未確定性をたおやかに映し出している。こうした活用の在り方は、「あいまいであること」「言い切らないこと」に美を見出す日本的感性と深く結びついている。

 

第五章 活用体系に映る日本的思惟の特質


 以上の各章で見てきたように、日本語の活用体系は単なる機能的構造ではなく、むしろ日本人の思惟の型を深く映し出している。そこには、

 

・関係性を重視し、他者との距離を微細に調整する志向

・時間を直線的に把握せず、過去・現在・未来を重層的にとらえる認識

・全体を見通しながら構文を組み立てる統合的思考

・あいまいさや未確定性を受容し、そこに情緒を見出す感性

 

といった特徴が認められる。これらは単なる言語的特徴ではなく、日本文化における美意識、対人関係、世界観の根幹に関わるものである。

 

結語


 日本語の古典文法、ことに活用体系を「思惟の型」として捉え直すことで、私たちは単なる言語構造の理解を超え、日本人の心のありよう、関係性の結び方、世界へのまなざしといった深層にまで分け入ることが可能となる。古語を学ぶとは、過去の日本人の精神に触れることにほかならない。

 

 現代において、言語教育が効率や実用性を重視する風潮のなかで、こうした精神的・文化的背景への目配りは失われがちである。しかしながら、活用という形に託されたおもひをたどることは、言語を超えて、ひとつの生き方や世界の見方を学び取る営みに通じるのである。

 

参考文献


松村明『日本語の文法』(岩波書店、1980年)

大野晋『日本語の特徴』(岩波新書、1978年)

金田一春彦『日本語』(岩波新書、1969年)

鈴木孝夫『ことばと文化』(岩波新書、1973年)

渡部昇一『日本語の論理』(PHP新書、2001年)

・Edward Sapir, Language: An Introduction to the Study of Speech (1921)

・Benjamin L. Whorf, Language, Thought, and Reality (1956)

 

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