なほ、この女見では、世にあるまじき心地のしければ、「天竺(てんぢく)にある物も持て来ぬものかは」と思ひめぐらして、石作(いしつくり)の皇子は、心の支度(したく)ある人にて、「天竺に二つとなき鉢(はち)を、百千万里の程(ほど)行きたりとも、いかでかとるべき」と思ひて、かぐや姫のもとには、「今日なむ天竺へ石の鉢とりにまかる」と聞かせて、三年(みとせ)ばかり、大和国(やまとのくに)十市(とをち)の郡(こほり)にある山寺に、賓頭盧(びんづる)の前なる鉢の、ひた黒に墨(すみ)つきたるをとりて、錦の袋に入れて、造り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て見せければ、かぐや姫あやしがりて見るに、鉢の中に文(ふみ)あり。
ひろげて見れば、
海山(うみやま)の道に心をつくし果てないしのはちの涙ながれき
かぐや姫、光やあると見るに、蛍(ほたる)ばかりの光だになし。
おく露の光をだにぞ宿(やど)さまし小倉山(をぐらやま)にて何もとめけむ
とて返し出(い)だす。鉢を門(かど)に捨てて、この歌の返しをす。
白山(しらやま)にあへば光の失(う)するかと鉢を捨ててもたのまるるかな
と詠みて入れたり。
かぐや姫、返しもせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言ひかかづらひて帰りぬ。かの鉢を捨ててまた言ひけるよりぞ、面(おも)なき事をば、「はぢを捨(す)つ」とは言ひける。
(竹取物語より)
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