太閤下官を招き呼て云わく
「哥讀まんと欲す。必ず和す。」
答て云く、「なんぞ、和し奉らざらんや」
「誇りたる哥になむ有る。但し宿講にあらず」
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
余申して云く
「御歌優美なり。 酬くひ答えるに方なし。只滿座、此の御哥を誦すべし。
元稹の菊の詩白居易に和せず。 深く賞歎して、終日吟詠す。諸卿 、余の言に響応し、度數吟詠す。
太閤和解し、殊に和責めず。夜深まり、月明るし。扶醉、各々退出す。
祝宴の席で生まれた望月の歌
『小右記』によると・・・
この日、威子が皇后となった祝の宴が開かれたが、実資は道長から
「和歌を詠むので返歌してほしい」
と頼まれた。
「美事な御歌で返歌のしようがありません。皆でこの歌を詠じてはいかがか」
と申し上げて、出席者一同が望月の歌を数回詠ったのだという。
敦成親王(後の後一条天皇)誕生50日を祝う儀式を描いた『紫式部日記絵巻断簡』。背を向けている右側の女性が彰子。画面下の男性が道長 ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-12091?locale=ja)を加工して作成
藤原道長自筆の日記『御堂関白記』(古文書時代鑑、国立国会図書館蔵)
十六夜の月
めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千世もめぐらめ
(後拾遺和歌集 433)
紫式部の歌と望月の歌
この歌は、1008年(寛弘5年)9月15日、後一条天皇が生まれて五日目の「御産養」のときに紫式部が詠んだもの。
「祝宴の杯は望月と同じように欠ける事がなく、若宮の栄光も永遠に続くことでしょう」
道長の栄華を表す歌として語り継がれてきた望月の歌は・・・
実は紫式部の歌を真似たものだったという説がある。
さらに、望月の歌が詠まれた夜は満月ではなかったらしい。
したがって・・・
道長は自分の栄華を満月に例えたのではなく、彰子・妍子・威子を満月に例えたのだという説も・・・
めぐりあひて見しやそれともわかぬまに
雲がくれにし夜半の月かな
(百人一首 57)
多紀理恥英訳
Meeting on the path:
But I cannot clearly know
If it was he,
Because the midnight moon
In a cloud had disappeared.
Lady Murasaki Shikibu
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