平安貴族は何人いたのか?彼らの階級や人数を知ることで理解が深まる『光る君へ』のバックグラウンド
「平安貴族」の定義
大河ドラマ『光る君へ』によって、それまでは地味だと思われていた平安時代にスポットが当たっていますね。
ドラマの主人公である紫式部についての話からはちょっと離れて、当時の時代背景について見ていきましょう。テーマは「平安貴族」についてです。
平安時代といえば、多くの人がまず第一に彼ら平安貴族のことを思い浮かべることでしょう。ざっくりとしたイメージで捉えられがちな彼らは、天皇を中心として国の政治に携わっていた、いわば国家公務員にあたります。
では、この平安貴族は何人いたのかというと、家族を入れて1000人ほどだったと見られています。ちなみに、当時の平安京の人口は1200人くらいでした。
彼ら貴族の身分は、30の「位階」に分けられていました。
一番低い身分が「少初位」、その上が「大初位」、さらに上位が「従八位」「正八位」「従七位」「正七位」「従六位」「正六位」「従五位」「正五位」「従四位」までにそれぞれ上下があり、ここまでで2位です。
そしてその上に位置するのが「正四位下」「正四位上」「従三位」「正三位」「従二位」「正二位」「従一位」「正一位」の8位を加えた30位です。
このうち、従五位以上の者だけを「貴族」と呼び、正六位から従五位に昇進すると(すなわち貴族になると)収入は倍になりました。
『光る君へ』の登場人物たちの階級は?
この位階は「官位相当制」という制度によって、「官職」に直結していました。一位なら太政大臣や関白、二位なら左大臣や右大臣、三位なら中納言や大納言というように、位階に応じて官職が決められていたのです。
こうした制度を知っておくと、大河ドラマ『光る君へ』に登場する人物たちの人間関係が、より高い解像度で理解できるのではないでしょうか。
例えば紫式部の父である藤原為時は正五位下・左少弁(太政官の役人)でした。またその長男で式部の弟でもある惟規は従五位下だったので、貴族としてはもっとも低い階級だったと言えます。
四位までしか上がれない下級貴族は「受領(ずりょう)」と呼ばれました。式部のライバルとされる清少納言の父で、三十六歌仙の一人でもある清原元輔も、従五位上・肥後守を務めた受領でした。
一方、三位以上(一部四位)に叙された貴族は「公卿(くぎょう)」と呼ばれ、その数は家族を入れて100人前後だったとされています。
その頂点に立った藤原道長は、15歳で従五位下、30歳で従一位・太政大臣となり、翌年に辞任しています。
なお、位階の最高位である正一位を生前に叙されたのは、その後の時代を含めても藤原仲麻呂、三条実美など6名しか存在しません。いかに藤原道長の権勢が凄いものだったかが分かりますね。
参考資料:
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