何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさに涙こぼるゝ
西行法師
(西行法師歌集)
白洲正子は著書『西行』の中で、この歌が彼のものかどうかも疑わしいところもあるが、それでも彼の歌と信じられてきたのは、「いかにも彼らしい素直さと、うぶな心が現れているからだろう」とした上で、次のように書いています、「西行は、天台、真言、修験道、賀茂、住吉、伊勢、熊野など、雑多な宗教の世界を遍歴したが、『かたじけなさの涙こぼるる』ことだけが主体で、相手の何たるかを問わなかった。『かたじけなさの涙こぼるる』では、詩歌以前の感情だし、歌にすることをむしろ避けて通ったのではあるまいか」。
白洲が指摘するように、「西行が信じていたのは、本質的には古代の自然信仰のようなもの」でした。彼の目の前に「おはします」のは、山や森、滝であり、ときに神社、お寺だったかもしれない。それらに対して、いやもっといえば万物に対して、「かたじけなさ」を感じていた。自分が自力で生きているのではなく、「生かされている」ことを深く受けとめれば、その「ありがたさ」に涙がこぼれざるをえなかったのでしょう。
「神仏習合などという言葉もドグマティックに聞こえる」と白洲が表したように、西行は自然、いや存在するものすべてへ思いを寄せる人でした。
明治から昭和初期にかけて活躍した作家、泉鏡花の「伊勢之巻」という作品をみると、当時の伊勢の人たちにも、この歌が愛されていたのがわかります。
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