雲心月性...

慈愛する和歌を拙筆くずし字で紹介致します。

古今和歌集 巻第十五 恋歌五 779 

住の江の松ほどひさになりぬれば葦田鶴の音になかぬ日はなし

兼覧王

(古今和歌集 巻第十五 恋歌五 779)

 

 

古今和歌集(片桐洋一著、笠間文庫)の訳】

住之江の松はすっかり久しくなったが、

私もあの方を待つのが随分久しくなったので、

芦田鶴が声を上げて鳴くように

声に出して泣かぬ日とてありません。

 

住の江の松が長く存在するほど久しくあなたを待つ身なので、そこに住む鶴のように、この私は声を上げて泣かない日はありません、という歌。

  「住の江-松(待つ)-鶴-音になく」がとてもスムーズにつなげられている歌である。 "松ほど" 
には 「松(が存在する)ほどに長く」ということと「待つ程(=時間)が長い」ということを掛けている。

 

 この「松ほど」には 「茯苓(まつほど=ブクリョウ)」が掛けられているのではないか、という説が、契沖「古今余材抄」で述べられている(「...茯苓の和名にかけて久しくしてなる物なれはいふ歟山さとのものは今も茯苓をまつほとゝ申ならへりとそ承はる...」)。ちなみに 「茯苓」はサルノコシカケ科のマツホドで、松の根に付着する。現在でも漢方薬(利尿効果など)として使われているようである。契沖がこの 「マツホド」を「久しくしてなる物なれは」と言っているのは、それが千年経った松の下にあると言われていたことを指している。

 

 771番の遍照の歌の ひぐらし」のように恋歌に分類されていても物名のような歌もあるが、この兼覧王の歌の場合は同じようなもの見るのは苦しいか。ただ 「マツホド」という名前自体にインパクトがあるので、一度聞くと印象に残る説ではある。

 

 

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