両面宿儺
六十五年 飛騨國有一人 曰宿儺 其爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之
(日本書紀 上)
飛騨国に宿儺が現れたのは、初代・神武天皇から数えて16代目に当たる仁徳天皇の治世65年目のこと。体は一つで二つの顔を持ち、その顔はそれぞれ反対方向を向いていた。頭頂部で一つになり、うなじがなかった。それぞれに手足があった。膝はあったが、その裏のくぼんだ部分とかかとがなかった。力はたいそう強く、敏捷だった。左右に剣を帯び、四本の手で弓矢を使った。天皇に従わず、人民を略奪して楽しんでいた。そこで(天皇は)、和珥臣の祖とされる難波根子武振熊を遣わして、宿儺を殺させた。
所感
漢字のみだとわずか84文字に過ぎませんが、宿儺のインパクトは強烈です。たぶん、一族の長的立場にあったのでしょう。戦闘能力は並外れて高く、とっても強い。最期は天皇が差し向けた難波根子武振熊によって成敗されてしまうのですが、飛騨に残る宿儺伝説は『日本書紀』とは異なる宿儺の姿を伝えています。
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