雲心月性...

慈愛する和歌を拙筆くずし字で紹介致します。

ヒルコ 古事記

フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』多紀理、推敲校正版

 

ヒル(水蛭子、蛭子神蛭子命)は、日本神話に登場する神であり、蛭児とも称されます。

 

神話の記述


古事記』によれば、伊邪那岐命伊邪那美命が国産みの際に最初にお生まれになった神がヒルコでございました。しかし、子作りの際に伊邪那美命が先に伊邪那岐命にお声をかけたため、不具の子としてお生まれになり、葦船に乗せられてオノゴロ島から流されてしまいます。次にお生まれになったアハシマと共に、二柱の子には数えられないと記されています。『古事記』には、伊邪那岐命伊邪那美命のお言葉として「わが産みし子は良からず」と記されておりますが、具体的にどのような子であったかは不明です。後世の解釈では「水蛭子」と記されていることから、水蛭のように手足が異形であったのではないかという推測が広まりました。あるいは、医学者の中にはこれを胞状奇胎と呼ばれる形成不全の胎児とする見解もあります。

 

日本書紀』では「蛭児」と記されており、こちらの一書では複数の説が示されております。『古事記』と類似する説では、最初または2番目にお生まれになった神として記されていますが、本文では、三貴子のうち天照大神月読命の後、須佐之男命の前にお生まれになったとされます。そして、三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船に乗せて流されたと伝えられております。中世以降に見られる蛭子伝説は、主にこの『日本書紀』の記述に基づいております。なお、この「三歳」という表現は、『日本書紀』において初めて年齢が記された箇所でございます。

 

 二柱の神によって最初に生まれた子が生み損なわれるという神話は、世界各地に見られ、特に東南アジアに伝わる洪水型兄妹始祖神話との関連が指摘されております。

 

伝承・信仰


 流された蛭子神が流れ着いたとされる伝説は、日本各地に伝わっております。『源平盛衰記』によると、蛭子神摂津国に流れ着き、海を司る神となり、夷三郎殿として西宮に現れたと伝えられております(西宮大明神)。日本沿岸の多くの地域では、漂着物をエビス神として信仰する風習が見られます。ヒルコとエビス(恵比寿・戎)を同一視する説は、室町時代以降に広まった新しい説で、それ以前の古い伝承には見られませんが、この説は古今集の注解や芸能を通じて広く浸透しました。現在では、蛭子と書いて「えびす」と読む地名や名字も存在しております。現在、ヒルコ(蛭子神蛭子命)を祭神とする神社は多数あり、代表的なものとして和田神社(神戸市)や西宮神社兵庫県西宮市)などが挙げられます。一方、恵比寿を事代主とする神社も多く見られます。

 

 平安時代歌人大江朝綱は「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、神話には触れられていない不具の子に対する親神の感情を詠み加えました。この憐憫の情は、後世に異形を神の子の印(聖痕)とし、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れむ伝承へと発展しました。海の彼方から流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承は、異相の釣魚翁である夷(エビス)と結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされています。また、ヒルコは「日る子」(太陽の御子)であり、尊い「日の御子」として流されたという貴種流離譚に基づく解釈もございます。この説では、日の御子を守り仕えたのがエビスであるとされております。

 

 不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られますものの、神話において一度葬られた神が後世に蘇り、伝説や信仰の対象となった例は稀有であるとされます。

 

国生み神話

 

 


 

tagiri.hatenablog.com

 

 

ploom-x-club.clubjt.jp

PR